読書記録『ゴミ情報の海から宝石を見つけだす これからのソーシャルメディア航海術』

 津田本を読む。今月はブックライティングやキュレーションの本を読んでいるので、近いものがある。

 『ゴミ情報の海から宝石を見つけだす これからのソーシャルメディア航海術』。面白い。1時間で読了。読者からのQ&Aがためになった。個人としてのこれからのメディア戦略をどうしていくかということについて。

 著者は今でこそツイッターを活用したITジャーナリストということだが、もともとは雑誌のライターである。雑誌のライターはなかなか食えなくなったという。文化通信に掲載されていたABC協会の雑誌の販売部数調査を見ても軒並み数字が落ち込んでいる。残念ながらネットの方が勢いがあると言わざるを得ない。オピニオンリーダーなどの面白い人たちがこっちの方面へ流出している。単行本はというと、著名人のセルフブランディングの一道具になってしまっている感もある。

 私はツイッターは使いこなせなかった。流行る前からある程度普及した後までに、計4回アカウントを作って、その都度、続けるのが面倒臭くなって、結局毎回アカウントを消した。とにかく疲れてしまうのだ。なのでツイッターを上手に使いこなせている人には少し劣等感を感じる。

結局、テレビゲームにしてもCDにしても、ケータイが普及して、みんながメールをするようになったころから売れなくなってきたわけです。つまり「コンテンツがコミュニケーションに巻き取られる」という現象が起きているわけです。

暇つぶしにかけられるお金や時間は有限です。その有限な資源を、コンテンツとコミュニケーションが奪い合っているという状況なのでしょう。(p.41より引用) 

 さて本文からの引用だが、この「コンテンツがコミュニケーションに巻き取られる」という言い方は、もっとも直接的に現在の状況を指し示していて、舌を巻いた。昨今においては何の違和感もなく他人にメールを打ったりするわけだが、それらのコミュニケーションが暇つぶしになっているというのは、実は驚愕すべきことではないかと思う。便利に、気軽に他人といつでも連絡が取れるようになった半面、ある一面においてはかえって生活が不便になったような気がする。それが、この「コミュニケーションに巻き取られる」というやつだ。あのツイッターなどのとめどなく流れてくるフローな情報というのは、私にとってはとぐろを巻いてにじり寄ってくる大蛇のように思える。そして私をぎゅうぎゅうに縛り付けるのだ。私は最近ひどく疲れている。土日はケータイの電源は切っている。

  教育分野では将来的に道徳を教科化すると言われているが、そんなことよりもメディアリテラシーやネットモラルを学校教育できっちりやることの方が社会に出る上でははるかに実用的ではないかと思う。ネット分野は進歩が速いので、大人の方でも手探りの状態であるが、これを子どもが使いこなすというのはかなり大変だと思う。まだそんなに社会性の発達していない子どもたちが使ったりして、結構簡単に他人を傷つけたりするようなことがよくあるし、現にそれが社会問題化している。

 と、現代のネット社会について私は少し否定的な書き方をしてしまったが、本書はあくまでネットやソーシャルメディアを有効活用しようというスタンスで、初心者にも親切な書かれ方がしている。ネット疲れの対処法まで書いてくれている。とてもいい本である。