読書記録『わたしの彼氏』『街場の文体論』

 そういえば最近は文芸書を全然読まなくなっていたなあ。

わたしの彼氏

わたしの彼氏

 

 『わたしの彼氏』は青山七恵氏の作品。芥川賞を受賞した時から注目していて、結構好きな作家である。本書の発売後にすぐ買って、そのまま積読してあった。(発売日を見ると2011年3月11日となっている…。)

 主人公の鮎太郎はモテる。美男子なのだそうだ。恋愛小説や少女漫画って男の子がカッコいい。カッコよくないと恋愛が始まらないし話が進まないからだ。女流作家もぶっさいくな男なんてわざわざ描写したくないだろう。

 最初の方に出てくる、コドリさんという女性との絡みは面白かった。コドリさんは主人公の姉が自伝を執筆するのでその代筆をしに、自宅までバイトしにやって来るわけだが、そこで主人公とできてしまう。昼間は公民館で働いていて、一人暮らしの部屋に主人公が寝泊まりするようになる。しかし、酷いDV癖があって、主人公はベッドの上で痛めつけられる。

 このコドリさんとは長続きしないのだが、他にもジムで出会ったサッちゃんという女子高生と半同棲して、高額なネックレスを貢いだり逃げられたりと、彼はあまりいい恋愛はしない。

 もともと主人公には姉が3人もいて、いじめばかり受けて育っているなど、女性に囲まれることが多くても、女運についてはほとほと悪いようだ。

街場の文体論

街場の文体論

 

 『街場の文体論』神戸女学院大学の講義録。(しかも最終講義かよ。)内田樹の街場シリーズはいろいろ出ているが、自分に一番近そうかなと思い、この文体論を選んだ。が、文体論ではなかった。本人の興味関心や、教養的な話が断片的に続いている感じ。内田樹の講演会に行ったことがあるが、まさにこんな感じのとりとめのない話し方をする人であった。

僕は新聞に寄稿するときに、頻繁にトラブルを経験します。僕の使う言葉が「むずかしすぎる」というのです。漢字が多いし、外国語も多いから。「わからない単語があったら辞書を引く」という習慣をあなたがたは自社の新聞の読者には求めないのですか、と僕は憤然として反論することになります。(p.242から引用) 

  著者本人も自認しているようだが、本書を読んでいると、「講義で話すには、ちょっと書き言葉的な難しい言葉が多いよな」という気がした。枕元に置いてある小型辞典を途中で何回か引いて読んでいたが、「コロキアル」という言葉が出てきて、「何だこれは、コロニアルじゃないよな。辞書に載っていなさそうだな」と思っていたら、案の定小型辞書には載っていなかった。大辞林にも載っていない。仕方がないので、ネットで検索してみたら、関連語として出てくるキーワードが、内田樹ばかり。内田樹しか使っていない言葉なんじゃないのか、と思った。「日常的な」という意味らしく、英語学関連もちょっと出てきた。

 さて、とりとめもなく話し続けられるだけの教養があるというのはとてもすばらしいことだ。私は極度の話下手である。それは根本的に話すことを自分の中に持っていないからである。加えて最近は固有名詞が出てこないという、ボケが進行していきている。

 第7講の「エクリチュール文化資本」の階層社会の話が面白かったので、『日本辺境論』も読みたかったのだが、書店には在庫がなかった。この本だけでは特に新しいことはないようだ。本人もあとがきでそう書いている。大学生向けの講義なので入門といったところだろうか。