読書記録『「依存症」社会』『ネット依存症』

 依存症関連その2。新書ばかり。そろそろ専門書も読みたい。

「依存症」社会 (祥伝社新書330)

「依存症」社会 (祥伝社新書330)

 

 『「依存症」社会』は和田秀樹センセイの著書。パチンコ、オンラインゲームなど人々の依存症を食い物にするビジネスが日本ではあまりに多すぎることを指摘している。本の帯広告にも分かりやすく「依存症に依存する国」とある。どの本でも言及されているが、やはり日本はこういったものに対しての規制が甘いらしい。それから依存症に関する認知度も低く、あまり対処もとられていないらしい。

依存症は……健全な「時間消費」をも減少させていきます。つまり、依存している対象に大量の時間を費やしてしまい、本来やるべきこと、やらなければいけないことに時間を使えなくなるのです。(p.132より引用)

 これは自分も痛感している。依存する対象についてはどれも実質的には生産性のないものばかりである。著者はさらに、それは子供たちの平均学力の低下ひいては国力の低下まで引き起こすとしている。本書については社会と依存症の関係性について、こじつけのように感じる部分も一部あったが、おおむね著者の主張はその通りだと思えた。

ネット依存症 (PHP新書)

ネット依存症 (PHP新書)

 

 『ネット依存症』も併せて読んだ。上述の和田センセイの本には韓国では国を挙げてパチンコを禁止したことが書かれていたが、こちらの本でも同じく韓国ではいち早くネット依存症の社会的な認知がなされ、様々な対策がとられていることが書いてあった。韓国が国際競争力を高めるために早くからブロードバンドを国内に普及させたことは有名だが、同時に多くの社会問題も発生したらしい。なお日本においてもネット依存を巡る問題が浮き彫りになってきているが、具体的なカウンセリングを行っている病院などはまだまだ少ないという。

 ネット利用者の依存度を測る韓国の「K-スケール」が紹介されており、自分も測定してみたが、3番目に危険な「自己管理教育を進めるユーザー」に当てはまった。(ただし2番目の「カウンセリングが必要とされる潜在的リスクユーザー」とほぼ近いところだったが。)

 本書によると、どんな依存症も本人の自覚が治療の出発点らしい。そしてネットをいきなりスパッと止めるのではなく、それに割く時間を段階的に少しずつ減らして(記録にすると客観視できるのでいいらしい)、代替となる対象に時間を当てていく方法がいいとのこと。和田センセイが上述の本で簡単に紹介した、別の行為で依存症を回避するという森田療法に少し似ている。だいぶ以前に読んだ行動科学のことについて特集したビジネス雑誌には、ターゲット行動とライバル行動というのが紹介されていて、自分が増やしたかったり減らしたかったりする行動をターゲットとして定め、代わりにそれを妨げるライバル行動を増減させることで、ターゲット行動の方をコントロールする、ということが言われていた。要するに、本人の自覚のもと意図的に、依存している対象以外のことに時間をつぎ込んでいくといったところだろうか。

 オンラインゲームやSNSは、オフラインのときでも話が進行していたり、対人関係で返事をしないといけなかったりと、「終わりがない」状況でいちいち何が起きているか神経質になってしまい、ついついその中に取り込まれてしまうが、本来であればそれがなくても人間関係が無くなるわけでもないし、その中には緊急であるもの・重要であるものなんてほとんどない。そのことを踏まえた上で、自分自身の中に生まれる強迫観念を取り払い、勇気を持って電源をオフにしたい。そしてもっと生産的なことに取り組むのだ。

 

 ところで年賀状の返事をまだ書いていない。私に限らず誰であっても義務的に返さないといけないものは一枚や二枚はあるだろう。これがあるせいで正月は毎年憂鬱になる。コミュニケーション依存症というわけではないが、日常生活においてとりたくもないコミュニケーションをとらなければならないという強迫感は本当にストレスである。普段と違って休暇中だから一層そう感じるのであろうが。